平安時代の寝殿造での障子が、いわゆる襖の原型です。ただ立てるだけの建具が、平安中期には、引き戸方式となり柱の間を引き違いに動く建具に進化します。
これは西洋には無い日本の建具独自の発明であり、「間の文化」日本の夜明けとなりました。
鎌倉・室町時代には、書院造への移行が始まり、襖障子には大和絵・水墨画などが、部屋の格式や用途に応じて描かれるようになりました。
桃山・江戸時代になると、書院造が完成され権力者達は格式ある絢爛豪華な障壁画や金箔をふんだんに使った襖絵で、その力を誇示したのでした。
こうした中、豪華とは逆に「侘び 寂び」といった心を大事にした茶の世界から数寄屋造が生まれ、より自然な抽象化されたデザインの襖が登場しました。
江戸時代には裕福な町人の間に唐紙が広がり、中期になると一般庶民の住居に、襖が普及し始めました。
明治時代では、洋風化の波の中で和洋折衷の独自の意匠も考えられ、大正から昭和にかけては、美術品としての役割をもっていた襖が、大量生産と均質化の道を歩み始め、次第に実用的なものへと性格を変えていったのでした。
近年、益々洋風化が進み、減少への途を歩み始めた感があります。また、オートメーション化された中で大量に作られる襖と手作りの伝統襖の二極化が進み、品質では劣るものの、格安な前者のシェアがマンション・ゼネコン・建売住宅を中心に後者を完全に凌駕したようです。
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